エコの一言
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2006年 11月 29日
アイスランド人のポップシンガー、ビョークの最新シングル『オール・イズ・フル・オブ・ラヴ』の為に、英国人のミュージックビデオ監督、クリス・カニンガムは、もの憂げで脈打つようなテクノの楽曲が展開していくと同時に、不気味なほどにリアルなそのシンガーのアンドロイドが、殺菌されたかのように超現実的な医療/工学の組み立てラインによって、"生"を与えられる様を描いている。
「十代の時、ロボット工学とエレクトロ・ミュージックにかなり取り憑かれてたんだ」とカニンガムは言う。 「そういうロボット的なフェティシズムの美学を、完全に矛盾するようなものと組み合わせることができたら、といつも思ってたんだ。『オール・イズ・フル・オブ・ラヴ』はロマンスとかセクシュアリティについて(の歌)だったから、そういう感覚を冷たいテクノロジーみたいなものと合わせたら面白いかも知れない、と思って。それでうまくいくかどうかやってみたんだ…」 ビデオは、真っ暗で床の曲がりくねったケーブルをたどっていくところから始まり、部屋の蛍光灯がチカチカとついていくと汚れない真っ白な医療実験室が現れる。カメラが上を向くと、二つのロボットアームが両サイドがからぐるりと現れ、部屋の中央の台に寝そべるひとりぼっちの人物の作業にとりかかる。 しばらくすると、その人物が、部分的に組み立てられたビョークのロボットであることが明らかになる。彼女の"ベッド"の下の明かりが、曲のヴォーカルが始まると同時に点灯する。機械が彼女の肢にパネルを取り付け、頭の後ろを鑞接していくと、人工的な体の大部分が欠けた状態で、ビョークのアンドロイドが歌い始める。 曲の二節目に入ると、二つ目の同じビョークのフィギュアが台の前に立ち、組み立てられるアンドロイドを見つめている。ヴィデオは、驚くほど人間的な動きで二体が抱き合いキスをする、やや不穏で、奇妙なほど美しい映像で終わりを迎える。曲が次第に消え始めると、明かりは再びチカチカと消えていき、カメラが床を這うケーブルを後ろ向きになぞりながら、引いていく。 ジョン・リンチは、カニンガムによって注意深く計算されたこのテクノファンタジーの撮影監督に選ばれた。二人は前にコマーシャルの企画でも共に仕事をしている。 監督としてのキャリアの前、カニンガムは特殊造形、アニマトリックス、美術部門、制作イラストなどの仕事をしていて、その経験が、映像の要素を自分が思い描いた通りにデザインすることを可能にした。 「僕がロボットとビョークのアンドロイドのデザインを技術的なところも描いて、」カニンガムは説明する。 「それから友達の模型作家が、電気の小道具とかに至るまで、全部を作ったんだ。『オール・イズ・フル・オブ・ラヴ』は比較的低予算のヴィデオで、特殊効果の経験が生かされた一番良い実例だと思うし、低予算のエフェクトをいかに上手にやりくりするかということを知れたことが、役に立ったな。僕はもともと異常なくらい絵コンテを描くんだけど、ビョークのヴィデオは今まで一番、あらかじめ計画されたものだったな。曲にメトロノームみたいに時間軸を区切っていって、それぞれにカットポイントを配置していったんだ。」 「動くものは全てCGだ。サイドから現れる二つのロボットの腕は、二つの小道具を鉄の棒につけて、それを二人の男がフレーム内に押し込んでるんだ。ロボットが実際に動いているのは、傾く過程だけで、それはお粗末なケーブル装置でやってる。他の残りの動く部分は全部細かいCGで、ポスプロのときにロンドンのグラスワーク社で付け足したんだ。僕は未だに、CGが写実に近いとは少しも思えない。観る人は騙す唯一の方法は、各ショットの"リアリティ"の割合を増やして、CGの量を最小限にすることだ。」 ビョークのアンドロイドの、説得力のある動きとパフォーマンスを作り出す為にも、似た手法が用いられた。 「フィギュアの実際の動きは全て、ビョークの本当のパフォーマンスが元になってる。」カニンガムは言う。 「基本的には、時折腕と頭を動かしたりしてるだけの動きも、彼女の口元の動きをシンクロさせているのもね。勿論これも(ポスプロで)CGを使ってはいるけどね。頭が動いていない場面は、実際に彼女のをかたどった小道具のビョークの頭部だ。目と鼻孔と口の部分だけ後から付け加えたんだ。頭が動いている場面では、その小道具の頭部の3Dモデルを、フレームごとに実際のビョークのパフォーマンスに合うようになぞらせたんだ。最後の二つの、ロボットがキスをしている場面は、どうやって動きを撮影したかの一番良い例だと思う。小道具のフィギュアの腕と頭を外して、20秒ぐらい撮影する。それから(同じに場所に)ビョークに入ってもらって腕の動きをやってもらうんだ。彼女には青い服を着て、腕にはいくつか白いパネルをつけてもらうんだ、そうしたらエフェクト担当の人がそれを動きの目安にできるから。」 「最初のは、セットと何もしていないロボットの小道具を、21秒ぐらい撮影する。で、ビョークのロボットの小道具をどけて、(本物の)ビョークに顔を白く塗って青い服を着て入ってもらう。(最初のショットと実際にリアルタイムで撮影しているビョークの映像を)合わせたものをヴィデオモニターに映して、出来る限り重なるようにする。けっこう雑で、ぞっとするような撮影手法だったよ。Avidで編集する段階では、セットに置いてあるロボットの一連の静止画像と、青い服と白い顔のビョークのお粗末なショットがいくつかあるだけだった。最初のいくつかのショットのポスプロを完成させて、最終的に上手くいきそうかどうかを確信できるまでは、凄く不安だったよ。」 固定カメラでゆっくりと撮影されていて、そのクリップのイメージはほとんどくっきりとした白黒だが、カニンガムはより"医療的"な感覚になるように、寒々とした白に近いシアンブルーに場面(の色調)を歪ませようと努めた。ヴィデオの中の唯一の本当の色彩は、フレームの一部に、明確に調節された電子的な青紫色の光を付け足す為の優雅にコントロールされたレンズフレアだけだ。 「絶対に伝えなくちゃならない写真的な要素が二つあって、」カニンガムは言う。 「一つ目は、全てのライトをぼやけさせたいということ。それで、ぼやけさせる為に実際の(撮影用の)ライトを場面の中に残したまま撮影をした。二つ目は、フレアの色は青紫でなくちゃならないということ。最近、アナモフィックレンズで撮影をしたとき、レンズの品質と同じぐらい比率にもそんなに興味が持てなかったんだけど、(品質というと)このときのは結構古かったんだ。レンズは年々、水晶のようにクリアになっていってる。レンズがもはや良質すぎるから、ああいった微妙なテキスチャを再現するのが難しくなってきてるんだ。」 「クリスは技術的な技量もかなり持っているし、撮影監督にどうして欲しいかというのをはっきりとわかってるんだ。全てのツールに積極的なんだ — レンズもフィルムストックも照明も — 誰も観たことがないようなものを作る為にね。例えば、レンズのフレアの使うことも、完全に前もって計画されてた。彼は映像をユニークなものにするために、不完全なレンズを使いたかったんだ。最も良い色のフレアがあるのを探すためにたくさんのレンズを試したよ — パナヴィジョンのプリモから古いクックのクリスタルのエクスプレス・アナモフィック、たくさんの球形レンズに至るまでね。それに、フレアを生み出すライトも、色んなのを試したよ。デドライトみたいな直接光や蛍光、反射光とか。結局、クリスの思うとおりの青紫のフレアを生み出すのに、古いパナヴィジョン(ノーマルスピード)のPSレンズとコダックヴィジョンの250D 5246を組み合わせて使う方法に落ち着いたんだ。」 実際の撮影で、(クリスの)要求である、計算された不完全さというヴィジュアルを制作する為に、リンチはセット自体の照明も扱い始めた。 「セットの照明のほとんどは下からのもので、真白なセットの壁を反射しまくる感じで。フィギュアの後ろの壁に、いくつかの"実質的な"電球も組み込まれてたけどね。蛍光灯は、薄暗くすることができないっていう特有の欠点があったから、8人ぐらいのスタッフがスイッチを消したり点けたりしてたんだ。クリスは撮影の"振り付け"に相当注意を払ってて、映像をまるで楽譜を作るみたいに図表にしてた。だから曲の間に蛍光灯が点いたりするシークエンスや時間配分もきちんと計算しなくちゃならなかった。ずっと点灯したままなのか、どれぐらい点灯させるのか、どこで点灯するのか、どこで消えるのか、とかそういうのを決めておかなくちゃならなかったんだ。」 次にリンチは、既存の構成に更なる"不完全な"照明を付け加えた。 「それぞれの効果ごとに、色んなライトを直接レンズに当てたんだ。」彼は言う。 「全てのショットごとに、どこにフレアを入れるか、フレアがいるのかいらないのか、シークエンスを確認してた。フレアをポスプロで付け加えることもできたけど、実際に撮影したほうがより自然だしエキサイティングだったんだ。フレアの大きさ、形、色、場所を試すのにデドライトとマグライトを一緒に使うか、他の器具を使った。それから、クリスが要求したような白濁したフレアを作り出す為に、少しだけ反射させた光か、レンズにかなり近づけた蛍光灯を使ったんだ。見せたいものを解りやすくする為に被写界深度をいじったりもしたよ。大抵の(深度)はけっこう浅いんだ。」 カニンガムが話を結んだ。 「今振り返ってみると、もっと被写界深度を浅くすれば良かったな。よりロマンチックに見せる為にスラントフォーカスや他のレンズトリックを使ったりはしたくなかったけど、背景がもっとぼやけてた方が良かった。美術の人に、経費節減の為に後ろの壁をもっと近づけるように言ったんだ。けど、そうしたら僕がどんなに(より長いロングレンズを使って)スタジオの後ろまで下がっても、背景をぼやけさせることが出来なかったんだ。アンドロイドが後ろの壁に近すぎたからフォーカスから外すことが出来なくて。それが全ての仕事の中で一番後悔してるところだね。もし、後ろの壁が対象物よりも遠かったら、ヴィデオはもっと豊潤に観えたと思うから。どんなに大きな撮影スタイルの要素も、セットに関する小さな決断によって作られたり壊されたりするっていうのは興味深いことだね。」 [ American Cinematographer, Feb 2000, Amorous Androids by Christopher Probst ] このAmerican Cinematographerの記事、左の雑誌にも訳が載っています。 そうとは知らずに訳を進めていたので載せちゃいましたが、プロの訳で読みたい、という方はこちらを入手されると良いかと。 広告批評 2000/04号 #237 『ミュージックビデオ20年史』
by cecoc
| 2006-11-29 20:22
| インタビュー和訳
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